2016年8月18日木曜日

昭和5年の迫間房太郎・香椎源太郎・大池源二などの年収〔推定〕

昭和5年の「釜山の三富豪」ほかの年収は、次の通りである。

氏名 年収〔推定)     課税額
迫間房太郎 255,000 20,961
香椎源太郎 206,000 16,302
大池源二 98,000 6,660
山本利吉 65,000 4,020
福田恒 65,000 4,020
迫間安太郎 52,000 3,040
山本頼之助 47,000 2,682
福島源次郎 42,000 2,328


この数字から見れば、釜山一の富豪である迫間家の年収は、307,000円程度であったと推定できる。ちなみに当時の平均年収(日本人および「日本人」<日韓併合による朝鮮人>)は、30円程度であったようである。

浅田喬二氏によると、

「迫間房太郎は水産業、倉庫業、穀物貿易業、土地の売買仲介業等を通じて資本を蓄積したものである。迫間の土地所有への進出は大正7年であって、大正末期までには200町歩ばかりの土地しか所有ししていなかったが、昭和初期の恐慌期には一躍4千町歩以上の巨大地主にのし上がり、水田だけでも2千400町歩の面積を所有するに至った。」
(『旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程(下)』132頁)

という。事実は、そうであったとしても迫間の蓄財は自力での金海地域における低湿地の埋立、水田用地の確保にあった。

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