氏名 | 年収〔推定) | 課税額 |
迫間房太郎 | 255,000 | 20,961 |
香椎源太郎 | 206,000 | 16,302 |
大池源二 | 98,000 | 6,660 |
山本利吉 | 65,000 | 4,020 |
福田恒 | 65,000 | 4,020 |
迫間安太郎 | 52,000 | 3,040 |
山本頼之助 | 47,000 | 2,682 |
福島源次郎 | 42,000 | 2,328 |
この数字から見れば、釜山一の富豪である迫間家の年収は、307,000円程度であったと推定できる。ちなみに当時の平均年収(日本人および「日本人」<日韓併合による朝鮮人>)は、30円程度であったようである。
浅田喬二氏によると、
「迫間房太郎は水産業、倉庫業、穀物貿易業、土地の売買仲介業等を通じて資本を蓄積したものである。迫間の土地所有への進出は大正7年であって、大正末期までには200町歩ばかりの土地しか所有ししていなかったが、昭和初期の恐慌期には一躍4千町歩以上の巨大地主にのし上がり、水田だけでも2千400町歩の面積を所有するに至った。」
(『旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程(下)』132頁)
という。事実は、そうであったとしても迫間の蓄財は自力での金海地域における低湿地の埋立、水田用地の確保にあった。
浅田喬二氏によると、
「迫間房太郎は水産業、倉庫業、穀物貿易業、土地の売買仲介業等を通じて資本を蓄積したものである。迫間の土地所有への進出は大正7年であって、大正末期までには200町歩ばかりの土地しか所有ししていなかったが、昭和初期の恐慌期には一躍4千町歩以上の巨大地主にのし上がり、水田だけでも2千400町歩の面積を所有するに至った。」
(『旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程(下)』132頁)
という。事実は、そうであったとしても迫間の蓄財は自力での金海地域における低湿地の埋立、水田用地の確保にあった。
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