「会心亭」の下部には、石畳あり。そして瀟洒な庭木を望む。茶の湯などの風雅に使用したはずである。作庭者の雅趣を知る。
「釜山三大富豪」の一人である迫間房太郎の年譜を踏まえた日本統治期釜山におけるライフヒストリーを記述したいが、今、その時間的余裕がない。
迫間の輝かしい足跡は、①釜山の埋立(都市造成)、②金海地帯の埋立(水田造成)の二点に集約できよう。だからこそ、2大事件も惹起したからである。
とはいえ、
1,なぜ、迫間別荘を東莱に建造したかも追求しなくてはならない。単に東莱温泉付近であるとだけ理解しては、あまりに短兵急にすぎよう。
2,なお、迫間別荘を担当した大工は誰であっただろうか。
3,また、どこから建築材を調達したのだろうか。
私が知るのは、1979年3月2日からの東莱別荘であるがーー。
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