1945年8月15日前後の京城を活写した田中正四教授(京城帝国大学医学部)の日記を見る機会があった。管見にして、思いも掛けない発見があった。
(1)1945年8月14日に、京城市内に「8月15日の天皇による終戦の詔勅」を予告するビラが貼られたということ。
(2)1945年8月15日、敗戦の日、京城市内には朝鮮人による万歳行進はなかったこと。その行進は、翌日の8月16日であったこと。
(3)8月31日に、新聞の宅配が再開されたこと。
(4)10月13日現在、京城市内で販売されていた新聞は12種。「毎日新報・東亜日報、朝鮮日報、東方新聞、海外通信、民衆日報、革命新聞、自由新聞、人民報、ソウル新報、Korean Times、Seouk Times」。
(5)12月6日、朝鮮に残りたいと願う日本人たちが存在したこと。
(6)12月26日、日本語ラジオ放送は1日1回、耳に出来たこと。
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